2010年8月25日水曜日
和太鼓のプロの技に感激!
和泉市の太鼓道場に、奥三河の和太鼓集団「志多ら」のメンバーさんが遊びにこられ、「ちょっとだけ:」と、実演して下さいました。
和太鼓市民一日教室を体験し、その難しさを実感した身には、神業のような演奏を心から楽しそうに演奏される姿はスゴすぎます。
さすがは、プロの技です!
9月4日、和泉シティプラザ・弥生の風ホールで結成20周年記念のコンサートがあるそうで〜す。(記者O)
2010年8月23日月曜日
お盆で実家に帰りました
毎年、別の行事があり、ほぼ10年以上もご無沙汰していました。
写真は、「仏迎え」をした仏様にお供えする食事です。
迎えられた仏様は、いわば2泊3日されるわけで その間の食事の
メニューは決まっています。(もともと決まっているのか、勝手に
先祖の誰かが決めたのかはよく解りません)
この写真は、精進揚げ、胡麻豆腐、きゅうりのつけもの、ごはんです。
(まあ、お下がりを頂いても 人間も喜べるメニューですね)
これをお膳にもり、竹と萱の箸を添えます。
3食の間には、お茶をお供えしたりで、台所は大忙しです。
仏様も毎年のことで、住み慣れた我が家に帰ってきた気分
でしょうか?
子どもの頃、いっしょにお供えをしていたおばあちゃんや
お供えしたものを盗み食いしていた飼い犬も 今や
迎える仏様となっています。
嫁に出た私は、先にもこれを頂けることはなさそうなので、
その気分を味わうことはできません。
仏様は、「迎えられてうれしいもの」と信じたいですが、
現在は「迎えに来てもらえない」事例も多いはず・・・
いくつになっても、不思議なことだらけですね。(コムネットM)
2010年8月20日金曜日
地名に思う
本紙コミュニティには時々「地名の由来」というコーナーを掲載している。ウェブサイトには「泉北ニュータウンの基礎知識」というコーナーを設けていて、こちらも自然と地名の由来や意味がからんでくる。
朝日新聞の夕刊に池澤夏樹氏がエッセイを連載しているが、8月4日の掲載分には地名のことが書かれていた。
「地名には由来ないし由緒がほしい」と。
平成の大合併から戦争の名前にもおよぶ興味深い文章だったが、地名についてはまさにその通りだと思う。誰しも自分の住むところは特別な場所であってほしい。自分の名前も、親から「あなたの名前をつけるときはこんなことを考えてつけたんだよ」という話を聞くとうれしいものだ。自分という存在が特別な存在であるしるしだから。住む場所もそれと同じだと思う。
古くからある地名はもちろん、ニュータウンの各住区の命名のいきさつを調べると、当時開発に携わった人たちがああでもないこうでもないと知恵を出し合った様子がしのばれる。いくつも候補があって、迷いながら決めたりもしたようだ。できあがった名前はそれほど個性的にみえなくても、その土地にまつわる歴史、そして新しい街として立派に成長してほしいこと、それらをほんのいくつかの文字にこめようと、苦労したのだなあと思う(楽しい作業でもあっただろうが)。
「栂・美木多」という折衷型の駅名は栂地区の住民と美木多地区の住民がお互いに譲らなかったからできたことはよく知られている。当時の様子はよくわからないが、結果的には地理的環境や歴史までがこの中に圧縮されたおもしろい(?)名前になっていると思う。
最もさびしいのは「あなたの住んでいる街の名前に特に由来や意味はありません」といわれることだ。それはそこに住む人たちの尊厳を無視するものだ、と言ったら大げさだろうか。
などと、いまだになじめない「南区」という地名のことを考えたが、地名というものは長い歴史をみるとけっこうめまぐるしく変わっていることも事実。そのうちこんなつまらない名前から、別の名前に変わることもあるかもしれない。そのときはぜひ、由来をあつく語れる名前になってほしいものだ。(情報センター・Y)
朝日新聞の夕刊に池澤夏樹氏がエッセイを連載しているが、8月4日の掲載分には地名のことが書かれていた。
「地名には由来ないし由緒がほしい」と。
平成の大合併から戦争の名前にもおよぶ興味深い文章だったが、地名についてはまさにその通りだと思う。誰しも自分の住むところは特別な場所であってほしい。自分の名前も、親から「あなたの名前をつけるときはこんなことを考えてつけたんだよ」という話を聞くとうれしいものだ。自分という存在が特別な存在であるしるしだから。住む場所もそれと同じだと思う。
古くからある地名はもちろん、ニュータウンの各住区の命名のいきさつを調べると、当時開発に携わった人たちがああでもないこうでもないと知恵を出し合った様子がしのばれる。いくつも候補があって、迷いながら決めたりもしたようだ。できあがった名前はそれほど個性的にみえなくても、その土地にまつわる歴史、そして新しい街として立派に成長してほしいこと、それらをほんのいくつかの文字にこめようと、苦労したのだなあと思う(楽しい作業でもあっただろうが)。
「栂・美木多」という折衷型の駅名は栂地区の住民と美木多地区の住民がお互いに譲らなかったからできたことはよく知られている。当時の様子はよくわからないが、結果的には地理的環境や歴史までがこの中に圧縮されたおもしろい(?)名前になっていると思う。
最もさびしいのは「あなたの住んでいる街の名前に特に由来や意味はありません」といわれることだ。それはそこに住む人たちの尊厳を無視するものだ、と言ったら大げさだろうか。
などと、いまだになじめない「南区」という地名のことを考えたが、地名というものは長い歴史をみるとけっこうめまぐるしく変わっていることも事実。そのうちこんなつまらない名前から、別の名前に変わることもあるかもしれない。そのときはぜひ、由来をあつく語れる名前になってほしいものだ。(情報センター・Y)
2010年8月9日月曜日
2010年8月6日金曜日
小径の愛称をつけよう
2010年8月2日月曜日
これでも花
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